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いわゆる押しボタン馬で、騎手のかすかな動きにも反応し、しかも自分のほうが先にそうしようと思っていたとでもいうように振る舞うタイプなので、Jは手綱をゆるめに持っていた。 前のほうでの激しいせめぎ合いにはあまり注意を払わなかった。
クルザドスという牡馬が目まぐるしくゆさぶりをかけてグレンウォーターとベルズコモナーを引き離そうとしていた。 クルザドスは素質的に短距離を得意としていた。
この馬が一八〇〇メートルの中距離レースで最後まで持ちこたえられると本気で信じている者は馬券を買った人々の中にはー人もいなかった。 Jにもそれはわかっていた。
向こう正面の直線にかかると、彼はそっと合図し、マクチェスニーは苦もなく高速ギアに入れ替えた。 彼はクルザドスは眼中に置いていなかった。
ところが、馬群が最終コーナーへと向かっていたとき、八〇〇メートルのポールのところでクルザドスがまるで撃ち殺されたように急に停まってしまった。 マクチェスニーはその二馬身後ろにいて、四頭の馬に菱形に囲まれる格好になった。
Jはどこにも行き場がなく、よける暇もなかった。 一瞬のうちにマクチェスニーはクルザドスの尻にのしかかったが、敏捷で利口でしぶといこの馬はへたっている先行馬を飛び越そうとした。

だが、クルザドスに脚をひっかけ、ものの見事にもんどり打って、Jを宙に放り上げた。 馬は尻餅をついて走路の外側へと三〇フィートほど滑っていき、Jは内埓にぶつかって跳ね返り、縫いぐるみの人形のようにぐったりと走路の中央に投げ出された。
ハーレムを溜り場にしているゴロツキやギャンブラーたちですら落馬のすさまじさに肝をつぶした。 アメリカーダービーの優勝杯を西部にとどめておくことになるはずの地元の馬、マクチェスニーはよろめきながらゆっくりと起き上がった。
痛烈なパンチを食ってなお倒れまいとするボクサーのように、右へ左へとふらついた。 Hが駆けつけてみると、愛馬は尻が擦りむけて血にまみれ、片方の目から鼻にかけて深い切り傷を負っていた。
それでもJよりはましで、こちらは走路に昏倒し、脚の骨が乗馬ズボンからくの字なりに突き出ていた。 Hから審判団に至るまで誰もがてっきり彼は死んだと思い込んだ。
彼がガーフィールドーP病院で苦痛にのたうちながら意識を回復したのは数時間後のことだった。 鎖骨と大腿骨が折れ、腰の関節が脱臼していた。
だがJの心を打ちのめしたのは医師の出した予後の見通しのほうだった。 アメリカーダービーヘの出場はむろん無理だし、二度と馬に乗れないかもしれないというのだった。
落馬事故のあとしばらく、Dはろくに身動きもできなかった。 シカゴで病床に臥して、腰と脚をベッドに釘付けにしているこの痛みがいつかやわらぐことはあるのだろうかと思案に暮れた。
脚を床に下ろすこともできないようでは、どうして再び馬にまたがることなどできようか。 彼の名前は新聞の紙面から消え、サウスサイドでは彼に代わって新顔たちが店の一番良い席についた。

Jはシカゴから抜け出す必要があった。 広いブルーグラスでのびのびできるのに、アパートの中で足を引きずってよたよた歩き回ったり、街頭の人込みの中でもみくしゃにされたりすることに意味があるとは思えなかった。
列車の駅まで行けるだけの体力が戻るとすぐ、彼はレキシントンへ向かった。 生まれて初めてJは支えてくれる人を必要とした。
そういう人がレキシントンで待っていた。 名をEといい、Jの妻だった。
二人は二年前の一九〇〇年にJがシカゴからニューオーリンズへ行く途中帰省した際、誰にも知らせず結婚していた。 Eは笑顔が陽気な、強情っぱりのティーンエイジャーで、是が非でも家庭を持ちたがっていた。
Jのほうは結婚生活よりもEに心を奪われていた。 自分は競馬の騎手で、というか少なくともそうなろうとしていて、仕事柄、長期間家を空けて女には不向きな場所を転々とすることになると、彼女になんとか事情を説明しようとした。
Eは耳を貸そうとしなかった。 夫が北のシンシナティやシカゴに出稼ぎにいっていて、一人で家庭を守っている黒人女性がレキシントンには多かった。
彼女たちは子供の世話をし、家事を切り盛りしながら、夫の次の帰省までの日々を指折り数えて待っていた。 EはずっとレキシントンにとどまってDを待つと約束した。
いつかは旅暮らしをやめて戻ってくるものと期待していた。 Jはレキシントンの黒人中産階級が集まる住宅地、東三番街に家を買ってやれるだけの金は稼ぎ貯めていた。

レース開催期間の合間を見てなんとか時々はそこへ戻るようにして、パートタイムの結婚生活をやっていく上での自分の役割と思うものをそれなりに果たしてはいるつもりだった。 それが次第に難しくなってきていた。
彼はシカゴではスターであり、彼が何者か知っていて気を惹こうと張り合う女たちのいる市のサウスサイドに根が生えたようになっていたのだ。 とりつかれたような、ひたむきな騎手であることに変わりはなかったが、前より時間と金が自由になる身分にもなっていた。
初めてシカゴに来た頃は内気でおどおどした若者だったが、そこを去っていく今は自信たっぷりの世慣れた名士になっていた。 Eは子供ができなかった、というよりDがはしらなかった。
そのことがただでさえ微妙な夫婦仲に一層緊張を強いた。 彼女は競馬場とは一切関わりたがらず、夫が落馬事故のせいで痛そうに顔をしかめながら足を引きずって帰ってきて、二度と競走馬には乗れないかもしれないとおびえているのを目の当たりにして、その気持ちはますます強まった。
看護婦役としては優秀なところを見せて、常に夫の身の回りに気を配り、元気づけた。 二年になる結婚生活で初めて、二人はほんとうの夫婦らしく暮らし、日々の家事や食事の決まりごとにも慣れ、生活を共にすることで生まれる情愛を再発見した。
Dも今度ばかりはEが彼を必要とするのに劣らず彼女を必要とした。 彼はドクター・Jという黒人医師にも大いに助けられた。
通称ドクーAはレキシントンの数少ない黒人医師の一人で、J同様、どの点から見ても地元のヒーローだった。 医師はDの骨の具合を調べて、治癒と筋肉の回復に役立つとの保証つきでストレッチ体操によるリハビリを勧めた。

毎回診察し、頑張り過ぎと見ると休養を命じ、所詮治りっこないとJが落ち込んでいるときには励ました。 まもなく、石垣づたいの散歩が上の道でのジョギングに変わり、さらに起伏のある丘陵地での全力疾走となり、そしてついには鞍上でしばらく時を過ごすようになった。
馬を馴らすためと、自分を鍛え直して体調を整えるために、何頭かの二歳馬に乗って朝の高速調教をやった。 そのあと、厩務員たちのそばに腰掛けを引き寄せて、馬の筋肉をさするのを手伝ったり、子供の頃に聞いた話を語って聞かせたりした。
体力が戻り、脚が外輪船の水掻き車のように滑らかに回転するようになると、Jは牧場にだんだん長居するようになって、ときには暗くなるまでいた。 やることはいくらでもあった。
なにしろ一歳未満の子馬や当歳馬、二歳馬が見渡す限りのブルーグラスの草原で跳ね回っているのだ。 競馬場の消息に疎くならないよう情報を仕入れる必要もあった。

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